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  • 2019.09.17 Tuesday
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スティーブ・ジョブズ氏のご冥福をお祈りします。
黒アップル
(Twitterアイコンも変えてみた)

「えっ誰?」という方も
もしかしたらいらっしゃるかも知れませんが、
午前の仕事中、Apple共同創業者のひとりである
スティーブ・ジョブズ氏の訃報を知りました。
(Twitterで)

※「ジョブズ」「ジョブス」と呼び方が分かれているようですが、
 こちらではアップルジャパン公式で呼ばれている
 「ジョブズ」で書かせて頂きます。


凄いですね。
発表があった後しばらく、Twitterのタイムラインが
「ジョブズ」一色になった。
そしてもう夕方ですが、未だにAppleやジョブズ氏に関する
ツイートをちらほら見かけます。

発表直後の民放での扱いはしょっぼいものだったみたいですが、
その後、東京のアップル直営店で
献花があったニュースが流れた…んですかね。(渋谷店だっけ)

ちょっと今日は、テレビを見てないので未確認なのですが、
お茶の間でもちょっとしたニュースになっているのでしょうか。

それとも、やはりインターネットの世界でのみ
大騒ぎしている事なのでしょうか。(日本では)
 
 
わたくしは今まで、ネタとして自分のことを
「Apple信者」と称してきた事はありましたが、
正直、使用しているApple製品はMacとiPodだけだし、
スティーブ・ジョブズ氏の「格言」みたいなものも
今まで聞いたことがありませんでした。

CEOを辞任する時か、それより少し前に
テレビニュースで写っている彼を見て、
「ああ、私の好きな顔のおじさんだなあ」
と思ったくらい。

病気の事も知っていたけど、
何だかんだ会長として後ろにはしばらく居るんだろう、
くらいにしか思っていませんでした。

でも本当は、すごく、ぎりぎりの所にいらしたんですね。
びっくりしました。本当に。

まず「えっ」てなって、
次は、今まで自分が使ってきたMacの事を思い出して、
ああ、彼がAppleを、マッキントッシュを作らなかったら
今の私はないんだ、と思ったら、
急に寂しさとか悲しさとかが込み上げてきて。

そんな時に、同じくTwitterのタイムライン上で
次の動画を紹介するツイートが流れてきました。
(茂木健一郎さんのツイートだったのですが。)


【スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版】


上に画像が表示されない方は
【こちら】で見られるかな、と…。
(携帯対応してるかどうか分かりません、すみません)


視聴開始5分くらいでもう既に泣きそうになって、
14分が過ぎる頃には号泣してました。

実はこの動画を見る前に、文章として
「スティーブ・ジョブズの名言」みたいなものが
並んでいるサイトを見たんですけど、
いまいち、ピンと来なくて。

なのに、号泣しました。
やはり、「喋る」ってすごいですね。
その人の表情、声量、声音、文字だけでは伝え切れない世界。


私がここのところ、というか、
何年もずっと考えてきたことを、全部言ってもらえたような。
誰に尋ねても分からなくて、尋ねる気も失せて、
まあこのまま静かに死んでいこう、と思ってたけど、
「違うな、ダメなんだ、もっとちゃんと生きてていいんだ」
と思わせてもらえたような。

4年前の動画なので、
一瞬「もっと早く出会っていれば…」と思いましたが、
今このとき出会ったから、良かったような気もします。


昨日一昨日の記事にも書きましたが、
私は今、自分がやる事ひとつひとつが不安です。
「必ず報われる」などと思っていると自分に甘えが生じるので、
「絶対報われるなんて思うな!」と自分に言い聞かせて
あらゆる仕事と生活の色々をやっています。

とはいえ、やはりそれでも「何か」に発展してほしいので、
「このまま、何もならなかったら?」と考えると非常に怖いんです。

「無駄だと思うことも全部糧だ」とは言っていますが、
ほんとうに全部ムダだったらどうしよう、とよく考えます。

実際に、自分がこれまでの28年の人生で
当時は「こんな事して何かになるんだろうか」と思っていた事が
いま意外なところで役に立ったり、繋がっていることがあるので
「無駄も糧だ」と言い切れるところはあるのですが、

でもやっぱり、自分を慰めるためにも言ってる気がします。
「無駄も糧だ」と。
そうでないと、怖くて崩れ落ちそうになるので。


ジョブズ氏は、スピーチの中で
「点と点がつながる事を信じなければならない」
と言っていました。

「時として人生には、頭をレンガで殴られるような事が起きる」
ということも。

詳しい前後の話は是非ともスピーチ動画を見て頂きたいのですが、
私はそれを聞いて、
誰でも不安だし、失敗もするし、思いがけないことも起こるし、
他人から排除される事もあるんだな、と思いました。
そして、それでも「信じて」生きなければいけないんだと。


わたしは、「信じる」のが嫌いでした。
いや、ジョブズ氏のスピーチを聞いたって、今もやっぱり嫌いです。
嫌いと言うよりは、「怖い」。
だって、「信じて」も自分の思う通りに行くとは限らないし、
むしろ行かない事の方が多いし、
信じれば信じるほど裏切られたときのダメージがでかいし。

信じても信じなくてもなるようにしかならないんだから、
じゃあ信じなくていいじゃないかと。

…って、これを書きながら気づきましたが、
今まで私の思っていた「信じる」は、
「他人を信じる」ことだったような気がします。

「自分自身を」信じようとした事なんか、
今まで一度もなかったかも知れません。

真理も選択権もすべて他人の中に委ねてその他人を信用して、
最終的に裏切られて「信じるんじゃなかった!!」と大喚き。

だからだめなんだな。

ジョブズ氏の「信じろ」と言っているものは、
ほかのだれでもない「自分」なんだろうな、と思います。

想像もつかないトラブルが起きる、
なるようにしかならない事もある、
自分が喚いても変わらない世界がある、
それでも、「自分の信念を信じろ」と。
むしろ、
「自分を信じなくてどうやって
世の中を、人生を渡って行くんだ?」と。
そう言われたような、気がします。


それから、ジョブズ氏の
「仕事を愛していた」
「ふられてもまだ、私は(仕事が)好きでした」
という言葉が、
すごく心に刺さりました。

何でもかんでも諦めるようにして、
何も信じないようにして、
早く寿命が来るようにたびたび祈る私ですが、
私にも確かに、「まだずっと愛してる」ことがあります。

ずっと、「絵」が好きなんだと思ってきました。
物心ついたときから絵を描いていて、
漫画家になるのが夢で、それはダメだと諦めて、
それでもまだ絵や漫画を描くことがやめられなかったから、
私は「絵」が好きなんだと。

でも、今「私が愛してる事って何だ?」と思うと、
「絵」だけではない気がします。

「何かを創り出す概念」そのものを、
わたしは愛してるんじゃないだろうかと。

絵を本当に愛している人は、
絵だけで自分の全てを表現しようとする気がします。
むしろ、そうすることでしか自分を表現できない気がします。
だけど私は、字も書ける。
文章で何かを表現するのも好きです。

アクセサリーも作るし粘土細工もするし、
パソコン上でデザインもする。
そういえば、演劇の脚本を創るのも、役者をやるのも好きでした。

私は多分「私」の何もかもを利用して、
(必要とあらばそれ以外の人や物も取り入れて)
「何かを創り出す」ことを愛してるんだと思います。

更にそれを、「誰かに見てもらって、伝える」ことも
わたしは愛してるんだなあと。

ただただ絵や文章を書くことだけが好きなのなら、
多分わたしは、ここまで生きてこられませんでした。

「めんどくさい、いつ死んでもいい」の暗闇の中で
ひとつだけ灯っていたのは、たぶんそれなんだろうな、と。

「創りたい」し、「人と関わりたい」。
それが合わさって、「今の仕事」なのかも知れない、と。

回りくどいことを書きましたが、そうだとしたら、
私が愛しているものもジョブズ氏と同じく「仕事」なのかも知れません。


ジョブズ氏は「死」についても語っていました。

「死を意識しておくことは、
重大な選択をする際の最も重要なツールだ」と。

このブログで度々ちらっと語っていますが、
23歳くらいの時に、私は本気で死にかけた事があります。

自分が死にかけたり、
ひいおばあさんが亡くなったり、
16年くらい生きていたペットの猫が亡くなったり、
縁の薄い父親が病気で死にかけたりしてるのを見ている内に、
わたしは
「ああ、誰でもいつかは死ぬんだな」
と思うようになってきました。

ただし私は、そこで
「どうせ死ぬんだから、適当に生きればいい」
と考えるようになってしまいました。

「死ぬ気になれば何でも出来る、だから頑張れ」
と人は言うけれど、
頑張っても頑張らなくてもいつかは死ぬ、
なら大きく喜ぶことも大きく傷付くこともないように、
静かに穏やかに生きて死のう、と。

そう考えているのに、そう気を付けているのに、
人生はあまり穏やかではありませんでした。
だから私は、ずっといらいらしていました。
「私は静かに死にたいだけなんだからもう放っておいてくれ」と。

「幸せになりたい人だけ頑張ればいいじゃないか。
私はもういいんだ。頑張って傷つくのはもう嫌だし、
これまでの人生で泣くほど幸せなこともちゃんとあったし、
もう後は死ぬだけだ」と。

こういうのを、「死に飲み込まれてる」って言うんでしょうね。
わたしの大好きな「もののけ姫」という映画で、
ジコ坊がいってました。笑


私が「死にかける」のはわりと何回かある事で、
交通量の多い駅前の道路で
原チャリでスッ転んで死にかけたりもしましたが、
一番「本気で死にかけた」のは、とても静かで暗い場所でした。


あの日以来、わたしは「死」がとても身近なものになってしまいました。
今でもすぐに思い出せます。
止まらない震えと涙、ガチガチ鳴る歯、沸騰する頭、真っ暗な部屋の中。
窓から見える庭の木が、大きくそびえ立っていて、
どこまでも真っ黒で怖かったことを覚えています。

私にとって「死ぬ」とは、あそこに戻ることです。
さびしくて悲しくて、ひとりきりの暗い場所。
何をどうしても最期にあそこへ戻るのなら、
誰かを愛したり、誰かと笑って過ごす事に
一体何の意味があるだろうと思っていました。

で、しばらくは楽しい事から逃げていましたが、
最近は
「どうせ意味がないのなら、いまこの瞬間を楽しもう」
と思うようになっていました。

でもやっぱり、どんなに楽しくっても
私が最期に帰る部屋はあそこなんだよなあ、と思っていて。

誰かにやさしくされたり、
自分では処理できない嬉しいことが起きたとき、
泣きそうになったり(もしくは泣いたり)
パニックになったりするのは、そのせいかなあと思います。

あの部屋のことを知っている変な私に、
やさしくしてくれてありがとう、という気持ちと、
どうせあの部屋に戻るわたしに、
あまり暖かい思い出を与えないで下さい、という気持ちと。


ジョブズ氏はスピーチの終盤でこう言いました。

「心や直感は、あなたたちが本当は
何になりたいのかすでに知っています。」と。

その通りだと思います。

私はずっと、

「あの部屋(死)のことを知ってしまった私は、
自分の幸せよりも他人の幸せを祈って
生きて行かなければならないし、そうするべきだ」

と思っていたし言っていました。
でもそれはきっと、頭の上辺というか、口上だけのことで。

ほんとうはずっと、あの部屋の記憶を忘れたかった。
いや、もう忘れることはずっと出来ないのだろうけど、
「どうせあそこに帰るのだから幸せにならなくていい」とか、
そんなことはもう、思いたくないのです。

いつか本当にひとりで死ぬとしても、
友達や家族やいろいろな人の笑顔を思い出して死にたい。
「楽しかったことは無駄じゃなかった」と思いたい。


ジョブズ氏はスピーチの最後に
「Stay Hungry. Stay Foolish.(ハングリーであれ、愚かであれ)」
と言って締めました。

私はずっと自分がバカだと思っていて、
だからせめて、周りの期待に応えられるように
小利口に生きようと思っていました。

愚かであってもいいのでしょうか。
まだ、少し怖いです。
あなたが亡くなって悲しいけれど、
あなたの訃報が無ければ、わたしはあなたの言葉と出会う事もなかった。


スティーブ・ジョブスさん、ありがとう。
Appleを、言葉を、たくさんのものを。

心よりご冥福をお祈りします。


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